学生時代

 

小学校の低学年時代は、運動が苦手で一人っ子だった影響もあり、近所の上級生に金魚の糞のようについて回り南大阪の自然の中で育ちました。

小学校の高学年時代は、低学年時代と真逆で近所の下級生を連れまわし、遊んでいました。

その頃、巨人の星がテレビ放映され、野球に興味を持ち始め、卒業文集にはプロ野球の選手になるのが夢と書いてありました。

中学校に入学し野球部に所属するが、当時流行りのブルースリーや大山倍達の強さに憧れ、野球部を退部し、ケンカが強くなりモテたいと不純な動機で武道を習い始めた記憶がよみがえります。

高校に入学後は、帰宅部で町道場に通い続け、授業と稽古を繰り返す日々でした。

大学受験は、家庭が裕福でもなく、とりわけ勉強も好きではなかったが、少しでも就職活動に有利になるのではと周りの勧めもあり、私の好きな理数系の電子専門学校を受験しました。

また、専門学校時代は、学業とバイトと稽古に没頭しました。

とある本をきっかけに健康や身体に関することに興味を持ち初め、その影響で両親に肩たたきや友達にマッサージの真似事を行い、笑顔や喜んでいる姿を垣間見ることが出来ました。

そして、人の笑顔や人を喜ばせる仕事に関わることが出来れば、いいなと感じ始めました。

社会人時代

 

製造メーカに就職。営業マンとし、40年以上勤務。

会社員の傍ら、平日は道場に通い稽古を続け、週末はスポーツクラブにて指導を継続していました。

40歳代転勤を機に約8年の転勤生活に終わりを告げました。

転勤終了後、大阪に戻り以前から興味があった整体を学ぶことが出来ました。

整体を学んでからは、練習会への参加やボランティア活動へ積極的に参加しました。

ボランティア活動は、主にウオーキングやマラソン大会参加者の整体体験コーナーで簡単な施術を行うことでした。

大会に向け、仲間たちと体験される方に一人でも喜んで頂けるよう汗水流し、練習したことが懐かしく思い出されます。

また、施術後笑顔で「ありがとう」「気持ちよかった」「楽になった」等の言葉を頂き、やってよかったもっと喜んで頂きたいとの気持ちが湧いてきました。

治療家時代

 

念願の活動を始めました。

活動をはじめ肩こりや腰痛をはじめ多数の方の諸症状を改善することが出来ました。

また、母親の腰痛に対しても、痛みを和らげることは出来ました。
しかし、それも束の間、数日間は改善されますが、日が経つにつれ状態が元に戻るという苦い経験もしました。

転機となったのは、70代年配の女性との出会いでした。

右ひざの痛みが3年以上続き、様々な技術を駆使しても改善されなく、すがる思いで私の治療院を訪ねて来られました。

足を引きずりながら訪問された姿が思い浮かびます。

施術後は、改善され足の引きずる様子もなく帰って行かれます。

しかし、1週間後、やはり足を引きずりながら訪問されます。

そのような状況が数か月続いたのを覚えています。
最終的には、ご家族の勧めで手術を受けられ、痛みが和らいだようです。

私の施術ではどうすることも出来なく残念でしたが、痛みが改善され良かったと思います。

しかし、膝の痛みを改善し、ご主人と登山をするのが夢と言われていましたが、その夢を私の実力ではお力になれなかった点が心残りです。

また、その方が母親と同世代ということもあり、笑顔に出来なかった自分にとても悔しい思いをしました。

このような苦い経験より、家族をはじめ、痛みを伴う方の痛みも改善し、その周りの方々も含め、笑顔になっていただけるようになりたいと思いが更に沸いてきました。

指導家へのチャレンジ及び思い

 

衝撃的な出会いがありました。それはゆるかかと歩きとの出会いでした。

問題は歩き方。歩き方に解決策があると知ったのです。

治療家時代上手く行かなかったのは、患部の改善にばかり目をやり、生活習慣が原因の為、歩き方を改善するとの考えが全くなかったからです。

このメゾットを駆使すれば、治療家時代の苦い経験も乗り越え、家族をはじめ、周りの方々を喜ばせることが出来ると確信しました。

立ち方一つで私のお腹のでっぱりが改善されたことを実感し大変驚きました。

また、外反母趾の友人や肩こり・腰痛の友人に立ち方や歩き方をアドバイスした所、痛みが改善されたと手ごたえも感じました。思った以上の効果に再び驚きました。

そこでゆるかかと歩きを一人でも多くの方に知っていただき、正しい歩き方の先には、生活習慣病が改善され、笑顔が待っていること伝えたい気持ちでいっぱいです。

生活習慣病でお困りの方は、全力でサポートしますので、是非私と共に歩き方の改善で楽しい未来を手にしませんか?